『夏への扉』ハインライン 新訳版の書評です
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『夏への扉』ロバート・A・ハインライン 新訳版

 たぶんこの本を読むのは4度目だと思う。タイムトラベルがテーマとなってるSFが、けっこう昔から好きでね。H・G・ウェルズの『タイムマシン』、ジャック・フィニィの『ふりだしに戻る』、日本の作家では広瀬正の『マイナス・ゼロ』あたりがお気に入りだが、やっぱりナンバーワンはこの『夏への扉』である。はじめて読んだのはたぶん中学生くらいの頃だったと思う。

 今回読んだ『夏への扉』は従来の福島正実訳ではなく、小尾芙佐(おびふさ)による新訳版である。実は新訳版が出ていることなどまったく知らなかったのだが、図書館の海外小説の棚で「何か面白いのないかなぁ」と本漁(あさ)りをしているときに偶然発見。「これは読まずばなるまい」ということで即座に借りて読んだというわけである(蛇足だが、私はいい本を探したり、資料探しのために図書館を積極的に活用するが、いい本を見つけた場合は借りて読んだ後でも、必ず自分で購入することにしているので作家、出版社、書店など関係者の方々はご安心を。最近の図書館にありがちだが、人気のある本を複数揃えて大勢に貸し出す運営や、〔お金に困っているなど〕特別な理由もなく、なんでも借りて済ますという利用の仕方には賛同できないのでね)。

 前回『夏への扉』を読んだのはたぶん15〜20年ほど前のことだと思うが、細かい部分はともかくとして、大まかなストーリーはほぼ記憶していた。それでも退屈せずに読めるんだから、よっぽど好きなんだなと自分でも改めて驚いてしまった。まぁ、くり返し読みたくなるというのは名作と認められるための条件であることは確かである。

 思うに、たぶん主人公がタイプ的に自分に似ていること、物語全体に不思議な明るさ、安心感が漂っていることなどがこの作品を私が好む要因なのではないだろうか。

 もう一つ、今回読み直して新たに感心したのは、作者が物語を丁寧に丁寧に紡ぎ上げている点だ。タイムトラベルといういまだ実現の気配もないテクノロジーを中心テーマにしていながら、この作品が荒唐無稽なだけの平凡な物語になっていないのは、手を抜いてはいけない部分をきちんとわきまえて、作者が丁寧に小説としてのリアリティを追求しているからなのだろう。

 『夏への扉』をまだ読んだことのない人にはもちろんのこと、福島正実訳で以前に読んだという人にもお勧めしておきたい。

夏への扉[新訳版]
発  行:2009年8月15日初版 2009年8月25日再版
出版社 :早川書房
ページ数:346ページ

ここからは小説の内容について触れるため「ネタバレ注意」。まだ本書を未読の方は読まないでください。

P.38
 ここらへんからしばらく続く、家事代行ロボットに関する部分は、ハインラインの家事に対する願望や考え方を書いたものなんだろうな、曰(いわ)く、

〈家庭の主婦は生活の機械化なんて望んでいない、絶滅した召使いに代わる器具が必要なだけだ。〉

 とか、

〈修理が容易でなければならない。〉

 という部分。

P.55
〈もしこれができたら、第二の奴隷解放宣言になるだろう、そして女性を太古以来の奴隷状態から解放するのだ。ぼくは、“女の仕事にきりはない”という古い諺(ことわざ)を抹殺してやりたい。家事というものは、果てしなくくりかえされる不必要な苦役なのだ。技術者としては、腹立たしいかぎりである。〉

 ハインラインは主人公のダンに上記のように言わせているが、本当に家事は不必要な苦役なのだろうか。家事が好きな人もいると思うんだが……。

P.146
〈かの偉大なるレオナルド・ダ・ヴィンチを思い起こすがいい、あまりにも時代に先行していたために、あの見事なアイデアの数々はまったく実現が不可能だったではないか。〉

 生まれた時代と才能のミスマッチというのは、意外と多いのかもしれない。

P.166
〈主計官にはふたつのタイプしかいない。ひとつは、規則のここにこう書いてあるから、おまえがあてにしていたものは当然もらえないというやつ。もうひとつは、規則をあちこちひっくりかえして、たとえその資格がなくても、必要なものだけはもらえるという条項を見つけだしてくれるひと。〉

 確かにその通り。そして私はいつも後者でありたい。

P.184
〈自分の仕事のスタイルというものはわかっているのだ。美術評論家ならこう言うだろう、絵画というものは、筆使い、光線の扱い方、構図、絵の具の選び方などもろもろの要素から、ルーベンスになり、レンブラントになるのだと。工業技術は科学ではない、芸術なのだ。技術的な問題を解決する方法の選択には実に大きな幅がある。工業デザイナーは画家と同様、独自に選択したもろもろによってその作品にはっきりと署名をするわけだ。〉

 その通り。クリエイターにも独自のスタイルが必ずある。が、そのスタイルはできるだけ数多く持っていた方が何かと都合がいい。

P.237
 「レオナルド・ダ・ヴィンチは、未来から過去へのタイムトラベラーかも」ってのは面白い考えだな。

P.255
〈それでも落ち目とはいいながら、その頭脳は最盛期のぼくの頭脳よりすぐれていた。本物の天才に会えば、天才と見抜けるぐらいの能力はぼくにもあったのだ。〉

 確かに、いいものを作る能力と見抜く能力は別だと思う。いいものを作る者がいいものを見抜く能力を持っているとは限らないし、作れなくても見抜くことができる者もいる。でも、見抜く能力も簡単には身につかない。やはり努力が必要である。

P.270
 トウィッチェル博士を怒らせるくだりを丁寧に描写しているが、こういうところで手を抜かないということは大切である。こういう努力が物語としてのリアリティを生み出すのだと思う。

P.299
〈だが、畜生、何度火傷(やけど)しようと、ひとを信用しなければならないときがあるのだ。そうしなければ、洞窟の隠者になって片目を開けたまま眠るはめになる。安全でいる方法なんてなにもない。生きていること自体が、そもそもとても危険なことなんだ……死に至る危険。最後には。〉

 確かに……。

P.345
〈未来は過去よりよいものだ。悲観論者やロマンティストや、反主知主義者がいるにせよ、この世界は徐々によりよきものへと成長している、なぜなら、環境に心を砕く人間の精神というものが、この世界をよりよきものにしているからだ。両の手で……道具で……常識と科学と工業技術で。〉

 やはりこの作品に不思議な明るさ、安心感が漂っているのは、根底にこのような考え方があるからなのだろう。

P.346
〈でもピートはまともな猫なので、外に行くほうが好きだし、家じゅうのドアを開けてみれば、そのなかのどれかひとつは必ず“夏への扉”なのだという信念をぜったいに曲げようとはしない。そう、ピートが正しいのだとぼくは思う。〉

 物語の冒頭あたりと、この最後に出てくる「どれかひとつは必ず『夏への扉』があるという、タイトルにもなっているこの考えも私のお気に入りである。

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